あや先生のブログ記事第3弾🌟
先生であり子育て中の母でもある先生の瑞々しい文章✨
あや先生のお人柄もよく表れていて素敵です。ぜひご覧ください👇
子育てをしているお母さん、お父さん、毎日お疲れさまです。
子育てをしていると、どうにも感情の収まりがつかない日ってありますよね。(切実💦)
論理国語では筋道を立てて考えたり話したりすることの大切さを伝えようとしていますが、
日常は小4と2歳の男の子の母であり、毎日何かしら想定外のことが起こるので、親子でワーギャーしています。
大人同士だと、言葉を介して理解し合えることでも、
親子の関係だと上手くいかなくて感情的になり、
ぐじゃぐじゃの親子喧嘩に発展してしまう日もあります。
ささいな、本当にくだらないことが喧嘩の発端でも、お互い一歩も譲れなくなったり。
好き勝手にダラダラ過ごしている上の子を見かねて、
「自分のことは自分でして!」「物をどうして元の場所に戻せないの!」などなど…、
毎日頭ごなしに子供に怒鳴りつける自分。
北風と太陽の話ももちろん分かっちゃいる。
けれども現実はそうは上手くいかない。
そんな日が続いた時にふと思ったことがあります。
子供は子供の世界に生きていて、
私たち親が見ている彼らの姿は、家で一緒に過ごしている面しか見えない。
どうやら、学校では自由気ままにやっているように見えても、
実は相当気を張って過ごしているらしい。
自分とよく似ているところもある我が子だけど、全くの別人格。
口を挟みたくなる気持ちを抑えて、
「我が子のことが分からない」をそのままにしてみようと思いました。
「分からない」ことをそのまま保留にしておくのは、
勉学の世界では良くないとされていますが、日常の中では答えがない、正解が分からない状況に満ちています。
私は学生時代、古文、漢文が好きだったのですが、
その理由が、昔の人達も今と何ら変わらない悩みに悩んでいて、泣いたり、叫んだり、
時には破滅的な行動を取っていることに共感しきりだからです。
古今東西の物語は、「分からない」「自分の中で整理のつかない感情」を擬似体験させてくれて、
自分の中の感情が荒れている時であっても、そんな時もあるよね…、と優しく肯定してくれる気がします。
物語の登場人物達は、こちらの想像もつかない行動を取ることがある。
あっと言わせる幕切れで物語が終わることもあって、読者は置いてけぼりにされることすらある。
でも、それこそが日常そのものだと思うんですよね。
自分ではどうにも出来ないことに振り回される毎日。
自分で思い付く手を尽くしたら、後はぷかぷか浮かんでいようと思います。
実社会に直結した実学も大事だけれど、一見役に立たなそうなことが、その人を支えてくれることもある。
私の場合は読書がそうですが、
人によっては土いじりだったり、ダンス、音楽、絵を描くことや、ゲームをすること。
流れる雲をただ眺めてみる。
数学や理科が好きな人は事象の不思議を追求することでワクワクが止まらないかもしれません。
目的も特に無く、ぼんやりと自分の好きなことをしていると、
自然と自分の中のバランスが取れてくることを感じる時があります。
…あなたのことは「分からない」ことも多いけれど、「分かりたい」と思っているんだよ。
気が向いたら話してみて。
それまで私はここで浮かんで待ってるから。
反抗期が始まったばかりの上の子にそう伝えたいとぼんやり思いながら、
下の子との散歩の途中に駅前の書店を通りかかると、気になる本が幾つか見つかりました。
長すぎた夏がようやく終わりましたね。
極端に短い予感がする今年の秋も新しい本との出会いを楽しみに、季節の移り変わりを感じようと思います。